Muroga

真田丸紀行 その七 室賀城

室賀城(原畑城、笹洞城)

旧地名:信濃11PV
カテゴリー:城跡訪問日:2016.05.29
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史跡の説明・感想

室賀城は通称・笹洞城と呼ばれた山城で、長野県上田市上室賀一帯に割拠した室賀氏の城塞群を指す。
本稿では、山上に築かれた、詰めの城・笹洞城を便宜的に室賀城と呼称する。

城史

鎌倉時代~戦国時代にかけて、現・長野県上田市上室賀一帯は、室賀城を本拠としていた室賀氏が割拠していた。
室賀氏は、鎌倉時代初期に、当地に土着した国人とされるが、正確な所は不明である。
戦国時代、室賀氏は北信濃の有力国人・村上義清に従い、村上家中では、重臣格の位置を占めていた。
甲斐の武田晴信(信玄)は肥沃な信濃を自らの領土とすべく北上し、天文17年・19年と村上義清と戦うが
いずれも大敗を喫した。
天文20年、武田氏配下で北信濃の国人である真田幸隆により、村上方の戸石城が落城。
室賀氏をはじめとした村上方の諸将も武田氏に降り、
晴信に圧迫された義清は天文22年、越後の長尾景虎を頼り落ち延びた。
以降、天正10年に武田氏が滅亡するまで室賀氏は武田氏の配下として活動している。
天正11年、北信濃の国人・真田昌幸は勢力拡大を企図し、室賀領に攻め込む。
室賀氏当主・正武は劣勢となり和睦、真田氏に従うこととなった。
天正12年、室賀正武は徳川家康の指示を受け、真田昌幸の暗殺を謀る。
企みを事前に察知していた昌幸は、上田城内に正武を誘い込み殺害。
室賀一族は室賀の地を去り、没落した。

城郭の見所

長野県上田市西方に位置する室賀氏が割拠した室賀の郷は、
南の上田方面除く周囲を山地に囲まれた盆地となっている。
北を上室賀、南を下室賀と呼称し、室賀城は上室賀西山上の支尾根(標高693m、比高140m)に築かれている。
上室賀の北は北信濃・越後方面へと抜ける室賀峠となり、室賀城は通行路を抑える位置にあった。
室賀城へは山麓の水上神社より、遊歩道が整備されている。
主郭は山上・最高所に位置し、東西に長い長方形を成す。
主郭の塁線には石積みが所々散見され、南西には虎口を開口させる。
西側尾根続きは、3条の堀切で遮断するが、主郭背後直後の一条目は、切岸に石積みを用いた、
落差10mを超える巨大な堀切となっている。
主郭東側から山麓に向けては途中、堀切を交えながら腰郭を連続させる。
室賀城は真田氏と小県の領有を巡り争った国人の、城郭の様相を今に伝えている。
また、見学においては、室賀正武に思いをはせるのも一興であろう。

史跡の住所

日本, 〒386-1541 長野県上田市上室賀1284 室賀水上神社

アクセスのヒント

上信越自動車道・上田菅平ICから30分

ギャラリー

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joukaku 足軽番頭

城郭談話会の三宅です。

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