2014 11 30 11.42.22

加古川評定の舞台

加古川城

旧地名:播磨18PV
カテゴリー:城跡訪問日:2014.11.30
Category0 h

史跡の説明・感想

加古川城は、鎌倉時代から糟谷(糟屋、加須屋)氏が領有していた地。
糟谷氏は平氏打倒で功を得た関東武士が元ともいわれる。

加古川城は平城で加古川を天然の堀とし、内堀を引き入れていたという。
織田家の播磨侵攻時、秀吉が毛利攻めの軍議の場として使ったことで「加古川評定」として知られる。
ここで三木別所氏が離反したことで、織田家は播磨攻めをやり直すことになる。
なお、ここ糟谷氏は当時東播磨で君臨した別所氏の配下であった。
兄朝正は別所氏に従い三木城へ籠城、討死。
弟武則は秀吉方につき、関ヶ原で西軍について改易されるまで加古川を治める。
(その後は徳川家旗本になったとも)

現在遺構は無く、加古川側にあるニッケ住宅手前の用水路が内堀の跡ではないかとも。

現在は称名寺というお寺になっており、裏手の墓地には糟谷家および糟谷武則公の墓所があります。

近くの春日神社は糟谷家初代が奈良春日神社から分祀したという由緒ある神社であるので、そこも行っておきたい。
この神社は加古川の赤壁の物語が残る場所です。

史跡の住所

兵庫県加古川市加古川町本町313

アクセスのヒント

加古川駅から徒歩10分ほど。称名寺というお寺です。

ギャラリー

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この戦活を書いた武士

Aka mon

赤松某 宿老

小学校で「信長の野望」に出合い、それ以降戦国漬けで発酵しております。
一生涯で、どんだけ城や史跡を回られるんでしょうか。

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