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観応の擾乱の舞台!播磨・光明寺山城

光明寺城

旧地名:播磨8PV
カテゴリー:城跡訪問日:2018.07.27
Category0 h

史跡の説明・感想

真言宗の大きな寺院である光明寺。ここは城としてではなく、お寺であり、古くからよくあるように、当時の最先端で巨大な施設である寺院は合戦の舞台となっていました。
ここは、足利尊氏と弟の直義の戦いである観応の擾乱の舞台となりました。
直義方の石塔頼房はこの寺に立て籠り、尊氏側は尊氏、高師直、赤松則祐が引尾山、鳴尾山、八幡山などに陣取り、対陣した。結果、尊氏側はなかなか攻め落とせず、そのうちに京から直義軍が迫ることをしり、退陣、摂津へ進軍します。

遺構としては、城としてではなく寺院としてすばらしいものです。本堂の裏手に足利家の二引き両の家紋がついた陣所の楯が置かれている陣所跡があります。もう朽ちているのですが、それがまた雰囲気があります。

史跡の住所

日本、〒679-0213 兵庫県加東市光明寺435

アクセスのヒント

JR加古川線滝野か滝駅から車で山道を登ると中腹に広い駐車場があります。

ギャラリー

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この戦活を書いた武士

Aka mon

赤松某 宿老

小学校で「信長の野望」に出合い、それ以降戦国漬けで発酵しております。
一生涯で、どんだけ城や史跡を回られるんでしょうか。

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